大判例

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大阪地方裁判所 昭和40年(わ)3263号 判決 1971年3月30日

主文

(一)  被告人加護楠雄を懲役二年六月に

同 中川肇を懲役一年六月に

同 畑山勝三を懲役一〇月に

同 川本大悟を懲役二年に

同 里村信次を懲役一年四月に

同 谷口昇を懲役一年に

同 八木泰弘を懲役一年に

同 坂元明を懲役一年に

同 黒田三治を懲役一年二月に

同 黒田勝を懲役一年四月に

同 益倉康弘を懲役六月に

各処する。

(二)  被告人加護楠雄の未決勾留日数中三〇日を同被告人の右刑に算入する。

(三)  被告人中川肇、同畑山勝三に対し三年間、同川本大悟に対し四年間、同里村信次、同谷口昇、同八木泰弘、同坂元明、同黒田三治、同黒田勝に対し三年間、同益倉康弘に対し二年間それぞれ右刑の執行を猶予する。

(四)  被告人里村信次から一、四一五、〇〇〇円を

同 谷口昇から九〇五、〇〇〇円を

同 八木泰弘から一、一五五、〇〇〇円を

同 坂元明から一、五三〇、〇〇〇円を

同 黒田三治から三、三八〇、〇〇〇円を

同 黒田勝から一、〇八九、〇〇〇円を

同 益倉康弘から三二三、〇〇〇円を

それぞれ追徴する。

(五)  押収してある自動式挙銃(二五口径)一丁、同実包二五発および日本刀一振(昭和四一年押第九〇〇号の一乃至三)を被告人中川肇から、猟銃一丁(昭和四三年押第三三九号の一)を被告人川本大悟から、それぞれ没収する。

(六)  被告人山本益生、同伊藤誠一、同橋口龍雄は無罪

(七)  被告人加護楠雄、同中川肇、同畑山勝三、同川本大悟、同里村信次、同谷口昇、同八木泰弘、同坂元明、同黒田三治、同黒田勝、同益倉康弘に対する本件各公訴事実中、詐欺、同未遂の点につき被告人らはいずれも無罪

理由

(罪となるべき事実)

被告人加護楠雄は大阪市西成区今池町四一番地に事務所をおく、やくざの団体、互久楽会の会長、被告人中川肇は同組幹部、被告人畑山勝三、同川本大悟は同組々員、被告人里村信次、同谷口昇、同八木泰弘、同坂元明、同黒田三治、同黒田勝、同益倉康弘は日本自転車振興会登録競輪選手であったものであるが、

第一、被告人加護楠雄は別紙犯罪一覧表記載のとおり、昭和三七年一二月三〇日ころから、昭和四〇年六月一七日ころまでの間前後一四三回にわたり、右事務所または同市西成区西四条一丁目三三番地喫茶店「ボン」あるいは右事務所付近のパチンコ店「コンドル」前路上において、右被告人里村信次、同谷口昇、同八木泰弘、同坂元明、同黒田三治、同益倉康弘の各競輪選手に対し、同選手らの出走する右一覧表各項記載の競輪に際し、出走の都度被告人加護および同人の輩下の中川肇らに一、二着予想者を教示したうえ、教示した入着予想者を順当に入着させるため他選手の走行を妨害するなどして、いわゆる八百長競走(以下八百長という)をしてもらいたい旨依頼し、その報酬または右依頼をいれて一、二着予想者を教示してくれた謝礼として現金合計九、七九七、〇〇〇円を供与し、

第二、被告人里村信次は右一覧表中、番号9、13、20、25、32、33、35、40、44、51、57、60、66、71、86、89、95、98、101 104、105、110、117、119、125、130、134、139記載のとおり、昭和三八年四月二九日ころから、昭和四〇年六月七日ころまでの間二八回にわたり、前記事務所または前記喫茶店「ボン」において、右加護より右各項記載の競輪に出走するに際し、その都度前示趣旨で供与されるものであることを知りながら現金合計一、四六〇、〇〇〇円をもらいうけて右出走の都度サインをもって一、二着予想者を右加護らに教示しもって自己の競走に関し賄賂を収受し(右一覧表中番号9、13、20、25、44の分)または賄賂を収受して不正の行為をし(右の事実を除くその余のもの)

第三ないし第一三≪省略≫

(証拠の標目)≪省略≫

(公訴棄却の申立について)

弁護人らは、本件詐欺、同未遂罪の公訴事実につき、起訴状の記載によれば欺罔行為として「恰も公正なレースをした如く装い、前掲の八百長を行って各レース審判員等をして公正なレースが行われたものと誤信させ云々」とあり、かかる抽象的記載では如何なる欺罔行為が行なわれたかを特定しておらず、従って構成要件に該当する事実を具体的に特定していないものといわざるを得ず、ひいては防禦権の行使を妨げるものであるから公訴棄却の判決を求めるというので判断する。

本件各起訴状をみるに、まず各自転車競技法違反の公訴事実を記載しているが、それによると「各競輪選手被告人らは、被告人加護楠雄より、所謂八百長競走をやって貰いたい旨の請託を受け、それを容れ、右加護と謀議のうえ、同人に一、二着入着予想者を教示すると共に、同予想者を順当に入賞させるため他選手の走行を妨害する等して所謂八百長競走云々」とあり、次いで詐欺、同未遂罪の各公訴事実は右記載を受けて、「前掲の八百長を行って云々」と記載されているのであって、なる程弁護人指摘のとおり、妨害等の行為についての具体的記載に欠けるところはあるけれども、その趣旨は競輪選手被告人らが、被告人加護らにあらかじめ入着予想者を教示し、その教示した予想者を順当に入着させる意図のもとに、審判員の目をかすめて他選手の走行を妨害する等の不正行為をして、不正なレースを行い審判員を欺罔するということにあるのであるから、検察官が主張する入着予想者を教示した選手が当該レースのスタートラインに立った時点を詐欺罪の実行の着手とし、右レースを八百長レースとする見解に立つ限りにおいては、詐欺罪の構成要件としての欺罔行為の記載として欠けるところがあるとはいえず、且つ右趣旨は起訴状全体から自ら明らかであって、被告人らの防禦権の行使に支障があるとは認められないので、右主張は採用できない。

(自転車競技法違反の点につき、不正な行為を入着予想者を教示した限度で認定した理由)

本件各起訴状中競輪選手の各被告人らに対する自転車競技法違反の各公訴事実によると、「競輪選手らの各被告人は本件起訴にかかる各競輪の都度加護楠雄から一、二着予想者を加護に教示すると共に、同予想者を順当に入賞させるため他選手の走行を妨害するなどしていわゆる八百長をしてもらいたい旨依頼され、その報酬または右依頼をいれて八百長を実行した報酬として供与されるものであることを知りながら、各起訴状記載の日時、場所において、その都度同記載の現金を収受した」というのである。

ところで八百長競輪が詐欺罪に該当するものであるとした場合における欺罔行為としての妨害などの行為については、後記無罪の判断において詳述するので、ここでは説明を省略するが、詐欺罪における欺罔行為としての妨害などの行為と、自転車競技法二三条後段の「不正な行為」あるいは「相当な行為をしない」こととはその範囲、程度において、大きな相異があり、詐欺罪の欺罔行為にはあたらなくても自転車競技法二三条後段の「不正な行為」などと評価できる場合は多いこと、すなわち自転車競技法二三条後段の場合は文字どおり、「不正な行為」であり、「相当な行為をしない」ことであれば足りると解すべきことは、自転車競技法の精神目的より明らかなところである。このことは妨害などの行為が右のいわゆる不正な行為としてどの程度のものであるかという問題であって、当該事案が、自転車競技法二三条後段に該当するというためには、各レースにおける妨害などの行為が具体的に特定できればそうすべきことはいうまでもない。

これを本件についてみるに、被告人加護ならびに競輪選手の被告人らの検察官および司法警察職員に対する各供述調書を総合すると、被告人加護から、各レースにおける一、二着予想者を教示したうえ、入着予想者を順当に入賞させるよう他選手を妨害などして、いわゆる八百長をしてもらいたいと依頼された競輪選手の被告人らは、これを了承したうえ、その都度被告人加護らにサインをもって一、二着予想者を教示したうえ各レースに出走したことを認めることができる。しかしながら各レースにおけるレース展開や、具体的な妨害などの行為についての証拠は殆んど存しない。(この点に関する被告人らの各供述調書の記載部分が信用性に乏しいことは後述)

競輪選手が当該レース前に一、二着予想者を選手以外の第三者に教示することが自転車競技法二三条後段にいう「不正な行為」に該当することは明らかであり、本件各起訴状も、入着予想者の教示をこれを実現するための妨害などの行為と共に「不正な行為」として起訴しているものと認められ、一方具体的妨害などの行為についての証明が足りないこと前述のとおりであるから「八百長を実行し」との点についてはこれを認めるに足る証拠は殆んどない。なるほど検挙時に近接した時期における競輪についての選手被告人らの各供述調書の記載は、未だ記憶も鮮明であったと思われ、具体的な妨害などの行為を認めることのできるものもあるが、時期的にどの時点までの競輪についての供述を信用できるのか截然と区別することは不可能である。いずれにしても一、二着入着予想者を教示したことが自転車競技法二三条後段の「不正な行為」に該当することは前述のとおりであるので、「不正な行為」をより明確な「一、二着予想者を教示した」という限度において認定した次第である。

(法令の適用)≪省略≫

(無罪の理由)

本件各詐欺、同未遂罪の公訴事実の要旨は「やくざの団体互久楽会々長である被告人加護は競輪選手の各被告人に、各競輪選手らの出走する競輪に関し、一、二着予想者を教示すると共に、右教示した入着予想者を順当に入賞させるため、他選手の走行を妨害するなどしていわゆる八百長をしてもらいたい旨依頼し、競輪選手の各被告人らはこれを了承したうえ、互久楽会関係の被告人らとそれぞれその都度共謀し、各競輪選手の被告人は自己の出走するそれぞれの競輪に際し、その都度あらかじめ打ち合わせた方法により、サインをもって互久楽会関係の右被告人らに、一、二着予想者を教示し、互久楽会関係の被告人らにおいて、右教示されたところに従って車券を購入し、選手被告人らにおいて恰も公正なレースをした如く装い、前記の八百長をすることにより各レース審判員らをして公正なレースが行われたものと誤信させて、右車券の連番を適中させ、各競輪場払戻金支払係員らをして払戻金名下に各金員の支払をさせてこれを騙取した(予想の適中しなかった場合は未遂)」(被告人黒田勝に対する松本組関係の公訴事実は右のやくざの団体互久楽会々長被告人加護とあるをやくざの団体松本組々長松本一美らと、競輪選手の被告人らとあるを被告人黒田勝と互久楽会関係の被告人らとあるを松本組々員らとそれぞれ読み換えるほか同様である)というのである。

ところで各弁護人らは、競輪競走に関しては、その性質上選手一人の意図により、各レースにおける同人だけの行為により八百長をすることは不可能である旨主張する。各弁護人らの主張するところは要するに、(1)、競輪競走は極めて危険な競技であって妨害行為など危険で到底できるものではなく、勝負も微差で決せられるので力を抜いて着順を操作することは不可能である。(2)、現在の競輪競走の極めて厳格な審判制度に照し、また眼の肥えた多数のファンをごまかして不正行為ができる筈がない。(3)、選手の賞金は入着順に従って算定され、選手にとって大切な収入であるから、どれだけもらえるかわからない互久楽会(或は松本組)からの報酬をあてに勝負をすてるわけがない。(4)、検察官の主張する「押える」「はねる」などの行為は一般の競走において選手が自己の勝利のための作戦として審判から違反と判定されない限り許された行為であり、走行妨害行為と八百長は別個のものであって、走行妨害行為がなされたからといって直ちに八百長になるわけではない。(5)、さらに自己の力を十分出さず着外に落ちるとしても他の者の入着を左右することはできず、また仮りに一人の選手の走行を妨害できたとしても二人以上の選手を同時に妨害することは不可能であって、誰れを入着させるかについてまで操作することはできない。以上のとおりで被告人加護は業界紙などによって自分自身で予想を立てるが、直接レースに出走する選手は一緒に出走する他の選手の実力や癖なども十分承知しているうえ、当日の各選手の体調などをも考慮して入着予想を立てることができるので、より確実な入着予想を知るため選手の被告人らからサインを送ってもらっていたに過ぎず、選手らは送ったサインにかかわりなく全力を尽して走っていたものである。本件の三〇〇件を超えるレースにおいて、数回「お帰り」になった例を除き、審判員から不正を指摘されたこともなく、ファンがさわいだこともない事実は、本件において妨害などの行為が全く行われていないことを物語るものであるというのである。

ここで「八百長」なる用語について一言ふれておく。本来八百長という言葉は選手相互間において、あらかじめ打ち合わせておき、全力を出さずしめし合わせたとおりの勝負をすることを意味したものであったと思われるが、その後その意味は拡張せられ、選手相互間でなく、選手のうちの一人が選手以外の第三者と打ち合わせておいて、自分の全力を出さず(競輪についていえば、打ち合せどおりの予定選手を一、二着に入着させるため、自分の全力を出して走らず、あるいは他の選手の走行を妨害すること)不正な勝負をする場合をも含めて通常(新聞報道などにおいて)八百長と称せられているので、本件において八百長と呼称することが必ずしも不適当ともいえないから、以下右の広義の意味において八百長なる用語を使用する。

そこで弁護人らの主張について検討するに、≪証拠省略≫を総合すると、競輪競走における八百長(選手中の一人乃至極く一部の選手のみによる場合)には、(1)実力があり本命、対抗とされている選手が全力を出さず着外に落ちて他の選手を入着させる。(2)、本命、対抗と目されている選手を順当に入着させるため他選手の走行を妨害する。(3)、本命、あるいは対抗の選手を妨害して他の選手を入着させる。(4)当分の間力走を怠ってランクを落し、弱い選手と組んだ際実力を発揮して入着する。という四つの型に大別することができる。また競輪競走におけるレース展開は最初から全力を出して疾走するのではなく、打鐘以後全力疾走に入るのであるから、打鐘前後の時点で九名の選手中どのような位置をしめているかが勝敗に大きく影響し、またラストスパートをかけるだけの余力を十分残しておくことが必要であり、従って(1)それまでの間に位置どりを妨害されて意図する位置につくことができなかった場合や(2)せり合って力を消耗した場合は結局実力を出しきれず不本意な結果に終ることになり、また(3)スパート地点(勝負どころ)で妨害されると、それが極めて僅かの瞬間的な行為であったとしてもレースの結果に大きな影響を及ぼすことになるのである。右(1)乃至(3)の場合それぞれの方法により一人で他の選手の走行に影響を与えることが可能である。打鐘後少しでも力を抜くと他の選手に追い抜かれたり、あるいは他の選手を追い越すことができなくなったりすることになる。現在行われている(本件当時もほぼ同様である)競輪競走における審判制度は、走路内側に間隔をおいて六ヶ所(原則として)に審判塔が設けられ、走路審判員、補充員各一名、決勝地点を見とおす場所に設けられている審判長、副審判長、決勝審判員、計時員などがそれぞれ配置されて厳正に監視されているほか、ゴール時の写真判定が行われており、また競輪場に集まる多数のファンはその殆んどが車券を購入し、異常なまでの関心と熱意をもってレース展開を見守っているのであり、このような多数の監視の眼をぬすんで前記のような行為に出ることはそう容易なことではなく、極端なことはできないが微妙な操作は可能であり、以上の事実はこれを認めざるを得ないのである。

なお弁護人は「押える」「はねる」などの行為は一般の競走において認められた正当な行為であるというのであるが、これらの行為が当該選手自らの勝利のための作戦としてなされ、審判員に違反と判定されない限り不正行為と評価されないことはそのとおりである。しかしながら当該選手がこれらの行為をなすにあたり、自らの入着を放棄し、自己の予定する他の選手を入着させる意図を有している場合には、審判員によって違反と判定されるか否かにかかわりなくレース全体を不正なものにする行為であって、もはや許された行為ということはできず、外観上は同一の行為であっても行為者の意思如何によって全く異った評価を受けることになり、後者の場合は不正な妨害行為というべきであり、しかもこれらの妨害行為そのものは一般のレースにおいて、レースのかけひきとして通常行われている(公判調書中選手被告人らの各供述記載)のであるから比較的容易に実行できるものということができる。尤も本件のような一人八百長の場合においては一人の選手が他の特定の選手を入着させる意図をもって妨害行為をするのであるから、よほど巧妙にやらないと不自然さを伴い、審判員には勿論のこと、一般ファンにも疑惑を抱かせるおそれがあり、一般レースにおいて自己の勝利のためのかけひきとして妨害行為をする場合に比し、困難の度合の強いことはいうまでもない。

以上のとおりいわゆる一人八百長の場合かなり困難ではあるが妨害行為などの操作は可能であると認められる。そうして本件における競輪選手の各被告人らは、その実力、経験において、必ずしも同一ではないが、いずれも相当の経験と実力を持っていたことは右各被告人らの供述調書により認められるところであり、かなり高度な技術を修得している右被告人らにとって、右のような妨害行為などによる不正レースをすることは困難ではあるが可能であるということができる。

選手らによる妨害行為などが可能であり、その結果特定の選手のレース展開に影響を与えることが可能であることは右のとおりであるが、一名の選手が教示した入着予想者をそのとおり入着させるよう妨害などの行為に出たとしても、通常九名出走するレースにおいて、僅か一人の力でするものである以上自己以外の八名の者全部について妨害などの行為をすることができないことは勿論、せいぜい一人乃至二人の他の選手に働きかけることが可能であるに過ぎないのであるから、その限りにおいて当該レースの勝敗を左右する力には自から限度があることも当然のことである。しかしながら一人の選手が入着予想者を教示したうえ、全力を出さず、教示どおりの結果を実現するため他選手の走行を妨害するのであるから、正常なレースと異なる結果を招来し、予想どおりの結果が実現する場合もあり得ると考えられる。

以上競輪選手の各被告人らが、被告人加護らに入着予想者をサインをもって教示したうえ、その教示した入着予想者をそのとおり入着させるための不正な行為に及ぶ意図を有してレースに臨んだことを前提として(被告人らの各供述調書を総合すると、選手被告人らは入着予想者をサインで教示したうえ、自己を一、二着とする入着予想のサインを送ったときとかその他特別の場合を除き教示した入着予想者を入着させるためなんらかの不正行為をする意図をもって出走していることを認めることができる。)これらの意図した行為が実行可能であるか、そしてそれがレース全体にどのような影響を与えるかというような選手被告人のこれらの行為と結果との関係について検討して来たのであるが、叙上説示したところにより、妨害などの行為は困難ではあるが可能であり、且つ結果に影響を与える可能性をもつものであることが明らかになったが、このことから右の妨害などの行為が直ちに詐欺罪の構成要件としての欺罔行為に該当するということはできない。

そこで進んで検察官の主張する本件八百長行為が果して詐欺罪の構成要件としての欺罔行為として定型性を有するものといえるか、さらに欺罔行為と評価できるとした場合これを認めるに足る証拠があるかどうかについて検討を加えることとする。検察官は昭和二九年一〇月二二日最高裁判所第三小法廷が詐欺、自転車競技法違反被告事件につき「競輪選手が他の選手(又は第三者)と通謀して実力に非ざる競技をなすいわゆる八百長レースにより賞金及び払戻金を受領する行為は、刑法の詐欺罪を構成する」と判示したことをもって、本件各八百長が詐欺罪に該当することは明白であると主張するが、右最高裁判決の事案は出走選手中七名が通謀して共同してなされた典型的な八百長レースであるに対し、本件は選手中の二名の者が通謀して行った二、三の例外を除き、その他はすべて選手一人によって行われたいわゆる一人八百長であって、事案の内容を全く異にするのであるから右判決をそのまま本件にあてはめることは相当でない。

右の判断に先だちまず本件のような一人八百長が仮りに詐欺罪に該当するとした場合、その実行の着手時期をどの時点となすべきかについて考えてみるに、検察官は前記最高裁判決に従い八百長を通謀した選手がスタートラインに立ったときが実行の着手であるというのであるが、同一レースに出場する選手中の多数のものが相互に通謀してなす前記事案のような八百長レースの場合は、通謀した選手らが当該レースのスタートラインに立った以上、既に通謀した選手らはそれぞれ自分一人の意思によっては犯意の変更を許されない状態となるのであり、かつその意図する結果を実現する可能性は大きいのであるから欺罔行為の第一歩を踏み出したものと認められ、その意味においてスタートラインに立った時点に実行の着手を認めるのは理由があるけれども、本件のような一人八百長についてこれと同様に解すことには疑問がある。すなわち選手一人だけで不正レースを実行しようとする場合、選手以外の第三者と通謀して入着予想者を教示していても、なおスタートラインに立った以後において意を飜すこともできるし、妨害などの行為に出る意思は有していても、レース展開の経過からなんら実際の行為に出る必要もない場合、あるいはさらには手の施しようもないようなレース展開になることも予想せられるのであるから、前記事案の場合とかなりの相異があり、一人八百長については欺罔行為の本体となる自己の実力どおり走らないことまたは他の選手の走行を妨害することが果して行われるかどうか全く不明であるところのスタートラインに立った時点に実行の着手を求めることはできない。右のように一人八百長の場合詐欺罪の実行の着手はこれを当該選手が具体的に妨害行為に出たとき、あるいは自己の全力を出さず力を抜いた走行を始めた時点に求めるべきものと考えられる。

かく解すると、具体的事案において実行の着手時期を把握することが頻る困難となり、ひいてはその立証もまた極めて困難となることは明らかであるが、これは一人八百長の場合が詐欺罪の構成に親しまない理由にはなっても、だからといって実行の着手時期をスタートラインに立った時点までさかのぼらせることはできないこと当然である。

なお実行の着手時期について右のような見解をとると、本件各起訴状の公訴事実の記載で足りるかどうかについて疑問を生じ、少くともこの点について釈明を求め、あるいは訴因の変更の勧告乃至命令などの措置をとるべきではなかったかの問題もあるけれども、本件の審理の実状に鑑み、また既に提出された全証拠を検討するも本件各詐欺、同未遂の各訴因につき、具体的な妨害行為などを明確にすることは殆ど不可能なことであると認められるうえ、徒らに訴訟遅延の結果を生ずることになるのみであると考えられるので、あえてその措置をとらなかった次第である。

次に本件の各事実における具体的妨害行為などについて証拠を検討することとする。

本件各事実についての各レースの展開、個々の妨害行為などについての証拠は、専ら選手被告人らの各供述調書によらなければならないのであるが、弁護人らはこれらの調書はいずれも信用できないと主張するので、まず右各供述調書の信用性についてみるに、本件起訴は昭和三八年一月から昭和四〇年六月までの二年六ヶ月の長期間にわたり、しかも各被告人とも数十回にのぼる回数のレースについて起訴されているのであって、競輪選手の各被告人らが被告人加護らと打ち合わせてサインを送ってレースに臨み、その前後に金銭を受領したことなどについて、かなり正確な記憶を持っていたことはさして異とするに足りないが、各レースについて如何なるサインを送ったか、そのレース展開がどうであったか、どのような妨害行為をしたかについてまで一々記憶していたとは到底考えられないところである。それは各選手被告人らが逮捕直後逮捕の被疑事実として挙げられているレースについて供述している調書にはどの選手を入着予想者としてサインを送ったか、レース展開や具体的操作の方法などについての供述が殆どといってよい位記載されていないことからも明らかである。なる程取調べに当っては当時の各レースの競輪報告書を示されているので、それによって記憶を喚起した点もあり、勿論事実に合致した正確な供述部分も含まれていると思われるが、しかし競輪報告書を見て供述したとしても、取調当時における被告人らの判断が介在することは否定できないから、必ずしも純粋に記憶喚起に止まるものではなく、また各被告人らは右の期間中起訴されたレース以外にも多数のレースに出走しているのであって、他のレースとの混同がないともいえないのである。かように事実に合致した部分があったと仮定してもこれを選択することは不可能であり、全体としてみれば、レース展開や妨害行為などに関する記載部分は信用性に乏しいものと断定せざるを得ない。

尤も検挙に近接した時期におけるレースに関する供述調書は右の理由をもってその信用性を否定することはできないが、その点ここでは留保しておく。結局大部分の訴因について妨害などの行為の証明は全くないことになるのである。

一般に八百長競輪において、当該レースに出走する選手全員が通謀して実行する場合選手らの意図する入着予定者をそのとおり入着させることは確実であると思われ、通謀した選手の割合が減少すればそれだけ意図する入着予定者をそのとおり入着させる可能性が減少することも当然である。そして選手全員又は相当数の選手が通謀して行う八百長は審判員らを欺罔して不正行為を行い、かつ意図する入着予定者をそのとおり順当に入着させることが確実であるか、あるいは相当程度の蓋然性を有すると認められるから、この点について格別の立証がなくても詐欺罪の構成要件としての欺罔行為ということができるけれども、八百長を共謀した選手の数が減少し、特に本件の如く出走選手中の一人だけが不正競走をする意図をもって実行する場合、前述のように当該選手の妨害などの行為の結果、自己の意図した入着予想者がそのとおり入着することのあり得ることを否定できないけれども、もともと妨害などの不正行為自体かなりの困難を伴うこと既に述べたとおりであって、入着予想者がそのとおり入着したものとしてもそれが当該選手の妨害などの行為によるものであると断定することはできないのであり、右に述べた場合と同様に評価することはできない。

およそある行為が詐欺罪における実行行為としての欺罔行為と評価されるためにはそれが行為者の意図する結果との間に因果関係の存在し得る性質の行為でなければならぬことはいうまでもない。本件について言えばいわゆる一人八百長の場合において被告人選手がその教示するサイン通りの枠番の選手を順当に入着させるために行う、前述のような、他の選手の走行を妨害する等の行為とその意図する結果との間に因果関係が存し得ることの証明がなされていないと言わざるを得ないのである。けだし一人八百長の場合における前記妨害などの行為とレースの結果との間には前述のように多くの偶然的な要因が介在しているために仮に被告人選手の意図通りの結果が実現したとしてもそれが当該選手の妨害行為以外の原因によって生じたものでないと断定するに足る証拠は存しないのである。例えば仮に一人の選手のみが自己の意図するレースの結果を実現する為に他選手の走行を妨害する等の行為を行う多数のレースを繰返し行う実験を更に多数回行って、これら多数の実験の結果を集計することにより常に、相当高い確率を以て、妨害選手の意図する通りの入着の結果の実現することが示されるならば、個々のレースについても、一人選手の妨害等の行為とその意図する入賞の結果との間に因果関係の存することを肯定することが出来るであろう。しかしながらそもそもかような実験を実際のレースと同じ条件の下に行うことが果して可能であるかどうか疑わしく、もとよりそのような証拠資料による立証は検察官により為されていないのである。詐欺既遂として起訴されている本件個々のレースについて言えば被告人選手等の前述の如き走行妨害等の行為がないならばそのような結果が生じなかったであろうという、行為と結果との間の条件関係の立証は何ら為されていないのである。即ち妨害行為とその意図する結果との間に因果関係の存し得ることを認めるに足る証拠はなく従って右の如き行為はこれを社会通念上詐欺罪における実行行為と評価するに足る証拠は存しないと言うべきである。これに対し出走選手中の二人のものが互いに謀議の上共同していわゆる八百長レースを実行する場合は一人八百長における場合に比し、レースの結果を左右する可能性の高まることは当然であるけれどもこの場合においても多数選手が共謀する場合と異なり、二人の選手の妨害等の行為とレースの結果との間には尚、相当多くの偶然的要因の介入し得る余地のあることは否定し難くこれら妨害行為とその意図する結果との間に因果関係の存し得ることを認める立証の為されていない点において、一人八百長の場合とさしたる差異はないというべく従ってこの場合においても右の如き行為を社会通念上詐欺罪における実行行為と評価することはできないといわねばならない。

飜って本件全体を通覧すると、当時売春などによる収入の途を失った互久楽会は、その資金源の獲得に腐心していたところ、偶々八百長競輪に手を出すに至ったという背景のもとに、本件は約二年六ヶ月にわたる長期間(実際にはさらに以前から行われていた)、関西地区を中心として、遠く関東、九州、四国方面まで足を延し、車券購入額も普通一レースについて二〇万円から三〇万円、多い時は五〇万円という多額であったことなどからみて、相当の収益をあげていたことは明らかであると思われるうえ、競輪選手らがサインを送るのは自己の出走するレースに限られていたこと、当該競輪に参加する場合殆ど事前に金銭を受領し、レース後は成功した場合は勿論のこと失敗に終った場合も多くは謝礼を受領していること、殊に「お帰り」(出走したレースにおいて、敢斗精神の欠除―身体の故障などの場合を含む―、不正行為の疑いなどの理由で翌日からレース出走を止められること)の場合はかなり多額の金銭の提供を受けていることなどの事実を総合すると、選手被告人らが不正行為を行い、レースの結果に相当程度の影響を与え得るからであるとの疑いもあり、一方暴力絶滅の世論のきびしい折柄、その収入はやくざ団体互久楽会の資金源となり、互久楽会々員の被告人らは正業をもたず、全国を股にかけて競輪場を渡り歩き、サインどおり、車券買いをして生活を送っていたものであり、さらに公営競輪存続の是非はともかくとして、些細な小遣銭で勝負を楽しんでいる多数のファンを侮辱するものであって、被告人らの行為は強く非難されるべきであり、甚だ遺憾な所為といわざるを得ない。しかしながら前述したところを無視してこれを安易に詐欺罪として問擬し、被告人らに刑事罰を科することは罪刑法定主義の精神にもとり、到底許されないところである。詐欺罪の成立が否定され、あるいはその立証が著しく困難であるが、なおこれを放置することが社会正義に反するというのであれば、立法論の問題として解決されなければならないところであり、本件のような行為についてはむしろ自転車競技法の枠内で処理されるべき事柄に属し、検察官主張のように処罰を受ける者の範囲を拡げたり、重罰を科すべきだというのであれば、それは同法の適切な改正を待つほかはないというべきである。

自転車競走に関する八百長殊に本件のような一人乃至二人による八百長が詐欺罪に該当するかどうかについては多くの問題点が存するところではあるが、叙上のとおりそれが詐欺罪の構成要件に該当する行為であると断定できない以上爾余の点について判断するまでもなく、本件詐欺、同未遂は結局犯罪を認めるに足る証拠がないことに帰するので刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡をすることとする。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 原田修 裁判官野曽原秀尚、同安木健は転任のため署名捺印することができない。裁判長裁判官 原田修)

<以下省略>

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